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教育よもやま話24号
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【教育よもやま話第24号】〜松井直輝の教育に役立つメルマガ〜
24.過度の期待
今回は「過度の期待」についてお話させて頂きます。
子どもがいわゆる反社会的行動(自殺や非行)を引き起こす親の養育態度には、【我慢を教えていない】【無視無関心】がありましたが、もう一つ、子どもへの【過度の期待】があげられます。
過度の期待とは親の都合でその子どもの能力をはるかに上回った期待を寄せることです。
親のさせたいことが、子どものしたいことにならず、押し付けとなり、負担になっている状態です。
親は子どものためにと考えているようですが、はたしてそうでしょうか。
子どもは親の期待に応えようとします。
それは子どもが本能的に「親に嫌われたら生きていけない」ということを知っているからです。
だから親の指示や命令に従うのです。
その指示や命令がいかに理不尽であっても、子どもは理解できなくてもけなげにがんばるのです。
なぜなら、親の期待に応えられないイコール親から関わってもらえない、つまり無視されると恐れているのです。
恐怖でのモチベーションはまったく意欲にはつながりません。
なぜならイヤイヤやっているからです。
親から無視されるのが怖いからやっているのです。
自分がやりたいことを自分で選択して喜んで行っているのではありません。
自分で選択して自分で決断して行うのですからその責任は自分にあります。
これを「自発性」と言います。
指示待ち人間という言葉がありますが、指示待ち人間は自発性もなく、意欲もなく、結果に責任をとらず、人のせいにし、ただ言われたことをするだけの人を言います。
過度の期待を寄せるとこのような子どもに育ってしまいます。
親の気持ちはどうでしょうか。
本当に子どものために期待をよせているのでしょうか。
親の都合や見栄によって子どもに自分の欲求や夢を押し付けているだけではないでしょうか。
子どもは親の所有物ではありません。
過度の期待はよく学習面に現れます。
良い学校に入学することを人生の目標であるかのように親子ともども入試をがんばります。
親のコンプレックスを子どもで解消しようとしている親も少なくありません。
大切なことは何のために勉強するのか。
どのような人生を送るのか。
そしてそのために何をするのかということです。
また、知らず知らずの間に過度の期待を子どもに感じさせることがあります。
それは比較です。
「おねえちゃんはおりこうね」という言葉を聞き続けると、下の弟は「僕は僕であってはいけないんだ。お姉ちゃんのようにならないといけないんだ」と、かってに過度の期待を背負うこともあります。
他人との比較もそうですね。
学校の先生は優秀な子ども像を明確に持っています。
知らず知らずの間にその子ども像とわが子を比較して余計なプレッシャーを与えたりします。
学校の先生はこれを特に注意しないといけませんね。
無意識のうちに我が子と自分が抱いている優秀な子ども像を比較して、プレッシャーを与え我が子を馬鹿にし、結果だめにしてしまうのです。
他人との比較は良くありません。
比較するなら過去のその子どもと現在の子どもを比較し、成長を認めてあげるような比較にしましょう。
最後になりましたが、子どもへの期待は子どもにとっては励みになります。
一番大好きな親に期待されていないのは辛いものがありますね。
期待されないと意欲がわかずがんばることができません。
子どもには夢や希望を持ちましょう。
子どもの能力を信じましょう。
期待しましょう。
度を越さない程度に。
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