教育よもやま話第30号(2月21日配信号)

タイトル 教育よもやま話第30号
本 文 【教育よもやま話第30号】〜松井直輝の教育に役立つメルマガ〜

30.いじめの種は幼児期にある 〜親を大切にする〜 (下)

月間少年育成という雑誌があります。
昭和31年創刊で、全国に1万部を発行しています。
これは主に学校の先生が読む雑誌です。
私の【いじめ】に関する記事が平成19年の9月号から上・中・下と3ヶ月連続で掲載されました。
今回はその3回目(下)をご紹介します。

1.家族主義の崩壊

戦後家族主義が崩壊しました。
村社会が崩壊しました。
村が崩壊すると国が崩壊します。
「集団」から「個」への時代、そして「物」の時代が20世紀でした。
この家族主義の崩壊とは「しつけの崩壊」「尊敬の崩壊」「恥の文化の崩壊」へとなりました。
これが今起こっている日本の教育問題の大きな原因です。

「しつけ」は堅苦しいものです。
戦後、夫婦関係や親子関係までアメリカのようにフレンドリーになり、堅苦しさを嫌い同居せず、楽な方に楽な方に流れていきました。
夫婦間の呼び方まで変わってきました。
最近ではニックネームで呼び合う夫婦がほとんどです。
夫婦二人だけならいいのですが、子どもの前でも「○○ちゃん」とだんなのことを奥さんが呼んでいます。
昔は夫婦喧嘩でも子どもに見せない配慮がありました。
今は、この愛称で呼ぶことが仲良しとでも勘違いしているのでしょうか。
親子間でも同じです。
友達親子が増えています。
この関係はとても気楽です。
しかしこれではしつけができません。
学級崩壊も様変わりです。
昔は反抗型でしたが、今は馴れ合い方です。
教師と生徒の関係が友達関係なのでけじめをつけられません。
ここにもしつけが崩壊しています。

さらに輪をかけて親も子も切れる時代です。
我慢ができません。
今はとても豊かな時代です。
食事ができない子は本当にまれです。
栄養失調という言葉は死語になりました。
お菓子を食べたことのない子などいません。
クリスマスにはサンタがやってきます。
お誕生日会にはケーキが食卓に並びます。
家にはおもちゃがあふれています。
まさしく「もったいない」の宝庫が日本です。
この豊かさが日本人の心を弱くしました。
豊かさの副作用です。
我慢することが親も子もできなくなってきました。

ファーストフードや宅配便というように、速さがサービスの時代です。
家にいながらテレビショッピング、カタログショッピング、そしてインターネットでショッピングです。
本当に便利です。
お正月もおせち料理を作らなくてもOKです。
なぜなら元旦からコンビニは開いています。
レストランもオープンしています。
私が子どもの頃は静かなお正月でした。
店などどこも開いておらず毎日おせち料理をいやいや食べたものでした。

「ぷっつん」という言葉がありましたが、親も子も我慢ができません。
我慢ができないということはしつけができないということです。
しつけは流れる水に字を書きこむように、書いては消え、書いては消えるものです。
それを執念を持って子どものために繰り返し繰り返し伝えていくものです。
忍耐なしでは成り立ちません。

尊敬の崩壊が起こりました。
これは夫婦関係に顕著に現れました。
昔は男尊女卑でした。
これはよくありません。
しかし女性が社会に進出しアメリカのように平等や権利を主張し、本来の役割を担わなくなりました。
それに引きつられ男性の価値や役割が変わってきました。
反社会的行動(非行と自殺)をする子どもの家庭の共通点は、夫婦の仲が悪い、しかも奥さんが夫を尊敬していないという調査結果があります。
「父を敬し母を愛す」という尊敬と愛情が希薄になってきました。
日本の文化はたての文化です。
序列の文化です。
人を敬する文化です。
これが崩壊してしまいました。
そして同時に家庭での返事がなくなりました。
昔は夫が妻を呼べば必ず「はい」という返事が返ってきました。
たとえ「おい」でも「ちょっとで」でも「はい」と返事が返ってきました。
「はい」は拝啓の拝です。
人を敬う「はい」です。

返事をするということは心のコップを上に向けるということです。
職場体験で中学生が幼稚園にやってきます。
「○○君」と呼ぶと「はい」と返事が返ってくると「この子ええ子やな。しっかり教えたろ。」という気になります。
逆に名前を呼んでも返事もせず、にらまれたり、「なんや」という返事が返ってくると「態度悪い子やな。こんな子受け入れられへんな。」と思ってしまいます。
返事をしないということは素直ではなく、ひねくれたり、ひがんだり、反抗したりする心の表れです。
そこには尊敬の念はありません。
その源が家庭での返事の喪失です。
尊敬の崩壊です。

恥の文化の崩壊が起こりました。
「隣は何をする人ぞ。」というように「個人主義」の時代です。
「誰にも迷惑をかけていないから何をしてもいいでしょう。」という歪んだ自由主義です。自分さえよければという要求権利主義です。
相手に要求します。
そのとき相手には「NO」はなく、すべて「YES」です。
必ず自分の我を通さないと気がすみません。
しかし、自分に何かを要求されると「NO」というのです。
義務を果たさず権利のみ主張します。

コンビニの前で座り込んで食べ物をほおばっている学生がいます。
恥ずかしくないのでしょうか。
電車で座り込んでいる学生がいます。
恥ずかしくないのでしょうか。
また、それを無視している大人がいます。
注意できないのです。
何をされるかわかりません。
そんな行動をとっていたら自分を生んでくれた親に申し訳ないと思わないのでしょうか。恥の文化の崩壊です。

2.親を大切にする

「本を忘れず 末を乱さず」と言います。
本を忘れずとは、世の中のことは過ぎたらそれでもうおしまいではありません。
入学試験に合格したときのこと。
結婚式のこと。
我が子が入園したときのこと。
「初心忘るべからず」と言います。
初心とは印をつけること。
そのときの気持ちを忘れないことです。
その中でも特に大切なのが、自分が生まれた命の元です。
今私たちがこの世に存在するのは両親のおかげです。
どちらか一人が欠けても私たちはこの世に生まれてこなかったのです。
わが命の根元(もと)は言うまでもなく両親です。
つまり、自分 = 親なのです。
「先祖の血すべて集めて子が生まれ」とも言います。
私たちの本を忘れず、感謝する意味です。
また、世に「恩を忘れるな」ということがいわれるのもこの意味です。
感謝の源は「親孝行」です。

末を乱さずとは節目節目にとる行動のことです。
「立つ鳥跡を濁さず」と言いますが、後片付けをしない。
履物をそろえない。
こうしたことは単に礼儀作法だけでなく、いろいろな不幸の根源と考えられています。
節目を大切にし、そこに感謝の念を持って行動することが大切です。
末を乱す人はしまりのない人と言われます。
このような人は何をしても七八分までいきますが、最後のしまりが悪く結局はうまく物事が進みません。
小さいことに末を乱す人は、大切なことに終わりを全うしません。

「本を忘れず末を乱さず」とは「入り口と出口」です。
人生では「誕生と最期」です。
学校では「入学と卒業」です。
一日で言えば「目覚めと寝るとき」です。
尊敬はこの本への感謝から始まります。
つまり、生んでくれてありがとうといえる子どもに育てないといけません。
家庭ではお誕生日会があります。
わが子の誕生の喜びをみなで共有します。
そのことにより子どもは愛される実感を持ち幸せを感じます。
そしてそのときに感謝を教えないといけません。
「こうしてお誕生日を迎えられるのはお父さんとお母さんがいたからやで。そしてお父さんやお母さんにもお父さんとお母さんがいたんやで。それがおじいちゃんとおばあちゃんや。おじいちゃんとおばあちゃんにもおかげさまで今日誕生日を迎えましたと連絡してお礼をいわなあかんな。墓参りも行こな。おじいちゃんとおばあちゃんもお父さんとお母さんがいたんやで。先祖や。みなのおかげやな。」

今は核家族です。
親が自分の親を尊敬し大切にしている姿を子どもは見る機会が極端に減っています。
だからこそわが子に親が親を尊敬することをことがある機会に教えないといけません。
父の日は母が子に、「こうして生活できるのはお父さんのおかげやで。ありがとうと言いや。」と。
逆に母の日には父がわが子に「お母さんが命かけて産んでくれたんやで。生んでくれてありがとうと言いや。」と。
感謝を知っている子は人をいじめたりは決してしません。

4.問題解決はストローク

肯定的なストロークの割合が多い幼児決断を行い、感情をしっかり発揮でき、そして父を敬し母を愛する、親を大切にする感謝を知っている子どもは人をいじめません。
また、いじめられても親にヘルプを出し、問題を解決するお子さんになります。
もし、問題行動を発見したら問題解決はストロークです。
幼児期にこの様な関わりを築いておくとすぐ元に戻ります。
その元に戻すのはストロークです。
心の栄養です。
暖かい関わりをいたしましょう。
そして子どもの存在を認めてあげましょう。
あなたがそこにいてくれるだけでOKです。
「It’s OK to be here !」です。

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